久の森の弁財天

久の森の弁財天は、堺市堺区少林寺町西3丁にある。
「久」 は昔この地にあった社の宮司の姓であり、「ひさ」と読むのが正しい。
なので「ひさのもりべんざいてん」。
昔は、広い敷地の小高い丘の上に祠(ほこら)があった。
丘というほどではないが、土地が周囲より少し高くなってた。
今は、丘も削られて平地になり、周囲に建物が建ち、かつての面影はない。
その久の森の弁財天の祭礼に参加させて頂いた。
宮司によるのりと

開口神社(あぐちじんじゃ)より宮司をお招きして祝詞(のりと)を述べて頂いた。
宮司が拝礼してるところ。
お茶の時間

出席者の男性曰く「私の4世代前は、ここの久の森の弁財天の巫女(みこ)をしてました」とのこと。
その頃までは宮司も居を構えてた。
鳥居には「文化5年12月」(1808年)の碑文(ひぶん)が刻まれてあった。
その碑文も長年の風化によって、文字が薄れてる。
辨財天

弁財天の石碑。
帰路

弁天さんを後に帰路についた。
文化財を大事にして、後世に伝えたい。
堺の方言で云う西のベンテラハン。
「久」 と云うのはこの社の宮司の姓であった。
今は敷地に狭められて一層見る影もない有様は嘆かわしく感じられる。
すぐ近くが海で鯛(ちぬ)釣りが盛んに行なわれてた。
と「堺旧市の懐旧」 に記述がある。
いま堺では「ベンテラハン」と言わず「ベンテンさん」。
昔の地図

この地図のように広い土地の小高い丘の上に祠(ほこら)があった。
昭和22年測量地図。
弁財天との関係は分からないけど、
弁天堂というパン屋があって、給食のパンを英彰小学校に納品してた。
久の森の弁財天らしき建物

久の森の弁財天の場所に建物らしきものが写ってる、国土地理院の空中写真1948年2月20日(昭和23年)撮影に。
江戸時代の地図

江戸時代の地図にはこの一画が久の森の弁財天だったことが描かれてる。
出典:山中金治 昭和五十年六月発行 「堺旧市の懐旧」
出典:国土地理院 地図・空中写真閲覧サービス
出典:堺市立図書館 文久改正堺大絵図